薬師寺 当財団主催特別展示会(大倶利伽羅広光などの展示について)

日本刀剣博物技術研究財団が関与する日本刀の展示

当財団は平易な言葉で分かりやすい話し方に留意しています。
専門家の方には「物足りない」「もっと詳しく」といったご意見やご要望もあるようですが、今後、専門的解説は他の博物館、美術館様にお任せして、親しみやすい日本文化を目指したいと思います。


大倶利伽羅広光などの展示について


2016年4月2日 薬師寺にて

大俱利伽羅広光などを限定公開予定

※写真は大倶利伽羅広光の一部分
 現在は、彫部分の写真パネルを展示しています。


公開予定の日本刀

名物 大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)(国認定重要美術品 伊達家伝来)

名物 鄙田青江恒次(ひなたあおえつねつぐ)(黒田家伝来)

   三条吉家(さんじょうよしいえ)(黒田家伝来)

 号 般若丸(はんにゃまる) 伯耆国安綱(ほうきのくに やすつな)(国認定重要美術品 嵯峨家旧秘蔵品)

                    以上、4振り


公開時間 4月2日(土) 午前9時から午後5時まで。(午後4時に受付終了)

公開場所 薬師寺 慈恩殿 及び まほろば会館

      薬師寺境内ですが「仏教と刀」「噂の刀展」とは別の会場となります。
      当日は非常に混雑が予想されますので、余裕を持ってご来場ください。
      仏教と刀(噂の刀展)の当日の入場券をお持ちの方に限り無料で公開します。

     館内及び展示物の撮影は禁止です。


[展示予定刀剣についての簡単な説明]

名物とは
 享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)に収載されている刀剣類のことで、現在、名物というときは多くはこれらを意味します。
徳川吉宗(第8代将軍)時代、吉宗の命により、本阿弥光忠が日本全国の武器、特に刀について名物といわれるものの調査を行い製本した本(報告書)で、名刀中の名刀が収載されています。
なお、大大名家(前田家など)には御家名物(おいえめいぶつ)という「名物」もあります。

国宝、重要文化財、重要美術品について
 戦前は、国の指定品、認定品は国宝と重要美術品の2種類だけでした。国宝は審査員が観て決定後、国(文部科学大臣)が指定します。
国宝に指定されると自由に売買が出来なくなり、また海外へ売却することも出来ないなどの制限を受けます。
1897年(明治30年)に初の国宝指定が行われましたが、新政府を信用していない旧大名家の中には、「伝来の宝物を他人の目にさらしたくない」との思いや、「政府に盗(と)られるかもしれない」との憶測から国宝の審査に出さなかったこともあったようです。旧大名家にあることは明らかだが審査員が目にすることができなかったものは、国宝に指定できず重要美術品にとどまったようです。したがって、国宝レベルであるにもかかわらず重要美術品になっている刀も少なくありません。「波泳ぎ兼光(なみおよぎかねみつ)」、「水神切り兼光(すいじんぎりかねみつ)」(いずれも上杉家伝来)等や、4月2日、3日特別展示予定の「号 般若丸 伯耆国安綱(はんにゃまるほうきのくにやすつな)」(嵯峨家旧秘蔵)などもそのケースと考えられます。また、審査の時点で所在不明あるいは所在を明らかにしなかった名物や名刀も多くあるようです。「弾正(だんじょう)左文字」(上杉家伝来)や「乱藤四郎(みだれとうしろう)」などもそのケースに当てはまる可能性が有り、文化財にも重要美術品にも指定されていません。
重要美術品の認定は、国宝指定レベルではないもの、あるいは国宝になり得るが現物を確認できなかったものの2つのケースがあると考えられます。

特別限定展示

名物 大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)  国認定重要美術品
 伊達政宗が徳川家康より江戸城の岩垣修築の功が有ったことで拝領(プレゼント)されたものです。受け渡しは、伊達2代当主 伊達忠宗(だて ただむね)と2代将軍 徳川秀忠(とくがわ ひでただ)で行われたとされています。
この刀は享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)に収載されている名物で、刀身の指裏(刀を腰に差したときに刀身の体に付く側)にある大きな龍の彫り物、倶利伽羅(くりから)があるので大倶利伽羅、作者が相州(神奈川県)の広光の作とされており、大倶利伽羅広光(おおくりからひろみつ)と呼ばれています。広光は、刀工の中でも有名な正宗の子、あるいは養子、又は門人(弟子)とか、正宗の師匠の新藤五国光(しんとうごくにみつ)の子、正宗の養子である貞宗(さだむね)の子など諸説あります。いずれにしてもかなりの名人で出来が良い刀工です。製作年代は南北朝で、1350年頃です。(実際の年代測定はまだ行っていません。今後、成分分析とともに詳細を明らかにしていきたいと考えています。)

名物 鄙田青江恒次(ひなた あおえつねつぐ)
 享保名物帳に収載の名刀です。製作年代は鎌倉中期で、1260年頃です。
天下五剣(てんかごけん)の一つ、日蓮上人護法(にちれん じょうにんごほう)の太刀「数珠丸(じゅずまる)」と同じ作者です。古い時代の青江ですので古青江(こあおえ)と呼ばれています。青江としては「にっかり青江」も有名ですが、「にっかり青江」は時代が少し新しい南北朝期の作で、中青江と呼ばれています。
なお現在では、備中ではなく備前の恒次ではないかという説もあります。また、鄙田(ひなた)青江は少し時代が若い後代の作では無いかと記載しているものもありますがこれは誤りです。(年代測定により古い時代のものであることが判明しています。)

鄙田(ひなた)とは
 越中富山鄙田半兵衛(えっちゅう とやま ひなた はんべえ)という人が持っていた、と享保名物帳に記載されています。
鄙田氏は名古屋城主 駿河大納言(するがだいなごん)忠長(徳川家康の孫)の家臣です。その後、豊前(ぶぜん)(大分県の一部と福岡県の一部)小倉城主 小笠原 忠真(たださね)の所有となり、娘が筑前(福岡県)福岡城主 黒田忠之(ただゆき)の子、光之(みつゆき)(黒田長政の孫、黒田勘兵衛の曾孫)に嫁いだときに婿引出物として光之に送っています。その後、黒田家蔵となりました。戦後、売却され黒田家を出ています。

三条吉家(さんじょうよしいえ)(黒田家伝来)
 平安後期(1150年頃)の山城(京都)の刀工です。
「三日月宗近(みかづきむねちか)」などの作者、三条小鍛治宗近(さんじょうこかじむねちか)の晩年銘(年老いてからの銘)とか隠し銘と言われます。宗近の子、弟子あるいは少し代が下がるなどの諸説有ります。
京都の三条に住んでいたため、三条吉家と呼ばれます。京都の三条や五条の刀鍛冶は、東北地方の舞草や宝寿の刀工が連れてこられ住み着いたともいわれており、西と東の鉄の融合が行われ日本刀の源流の1つになったのではないかとの説もあります。

号 般若丸(はんにゃまる) 伯耆国安綱(ほうきのくに やすつな)(嵯峨家伝来)  国認定重要美術品
 平安時代の伯耆国(ほうきのくに)の刀工です。
大原に住んでいたとの説がありますが誤りで、大原に住んでいたのは子の真守(さねもり)からです。また、姓を大原とするのも誤りです。姓は沢口、通称三郎太夫(さぶろうだゆう)です。沢口伯耆守安綱(さわぐち ほうきのかみ やすつな)が正式名で任官名を持ち、子の真守も沢口大原尉真守(さわぐち おおはらのじょう さねもり)といい同じく任官名を持ちます。
安綱の長兄は沢口丹波守権九朗(さわぐち たんばのかみ ごんくろう)(坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)の副官という説有り)といい、次兄の沢口五郎太夫(ごろうだゆう)と東北征伐に同行し、一時東北地方に滞在しました。子の真守は、桓武天皇の皇子が岩手県一関付近を中心に砦を築いてその地域を治めたため長期間東北地方に滞在し、後に大原へ戻りました。この説が正しいとすると、多くの古剣書に安綱の作刀時期が大同(806年~810年)、弘仁(810年~824年)頃としているのと一致します。1200年も前の作品ということになります。しかし、平安後期の作にしか見えないという解説も多くあります。
当研究所(財団)で数振りの在銘安綱を分析すると、同じ銘で有りながら200年もの差が出てきます。(まだ簡易分析なのではっきりとはいえません。今後、本格分析をする予定です。)
いずれも重要刀剣、国認定重要美術品ですが900年以上前のものから約1100年前の年代まで出ます。なお、分析した数本とも鉄質がかなり異なる事も興味深いところです。本刀剣はさらに古そうです。(まだ簡易分析なのではっきりとは言えません。今後、本格的分析をする予定です。)この時代、同じ銘を受け継ぐ習慣が無かったといわれますが、一部では親の名を継ぐ習慣が始まっていたのかなど興味が尽きません。 童子切安綱は国宝で名物でもありますが、源頼光が丹波国大江山の酒顛童子という鬼(おそらく山賊)を切ったとされ、童子切りの名が付いたとされますが、頼光にそのような史実はないらしいとの説もあり、事実は不透明なままです。江戸時代の本阿弥光悦押し形には、童子切安綱が明記されていますが、茎の形状が雉子股茎[きじももなかご(鳥の雉子の股のように急に細くなっている)]になっており、現在国宝の童子切とは異なる「?」とする説もあります。摩訶不思議であります。

いずれにしても日本刀の源流といわれる作者の一人であります。多くの名刀を作り出したのが安綱です。早い時期から非常に大切にされ御神体として奉納されたためか、健全な姿で保存されています。そのために外見上新しい時代の作品に見えるのかもしれません。